暗く、そして重く──血に濡れた紅い闇の気配。古傷を突付かれるような不快な疼きが、終わり無く続いてる。彼の意識はその何も無い世界をただ彷徨っていた。
今の自分に、動かせる身体は有るのだろうか。それとも、既にもう、あの男が自分に放った『負の力』に呑まれてしまったのか。それすら分からない。
何処から──そして、何時からだろうか。自分に呼びかける声がする……。
彼の悲惨な絶叫が、その意識全てが、悪夢のような紅の闇に弾け──霧散した。
なんとも言えない不安定な感覚の中、再び誰かの声が「聞こえた」。先程とは違う、荘厳かつ穏やかな──どこか、懐かしいものを感じさせる声がする。
(今度は、いったい何だってんだ……)
妙に全身が重く、気だるい。そのくせして、全身が宙に浮かんでいるような感覚があった。と──
(……って……!?)
少しの間を置いて、彼は重大なことに気付く。「全身が浮かんでいるような感覚」──つまり、今の自分には確かな五感がある。ということは、先程までは在るかどうかすら分からなかった身体が、今は間違いなく「在る」ということだ。
彼は確信すると、ゆっくりとその双眸を開いていく。眩しいぐらいの真っ白な輝きが、目の奥に僅かな痛みをもたらす。だがその痛みが、急速に彼の意識を覚醒させた。
やっと目が慣れた頃を見計らい、『楓』は自分の体を見下ろしてみる。当然、見馴れた姿がそこにあり、その口から漏れたのもちゃんとした自分の声だ。
状況が飲み込めずに眉を潜めていた『楓』の脳裏に直接、先程の「声」が再び響く。それに対し、『楓』は反射的に顔を上げ──思わず絶句し、目を見開いた。
そこに居た「声」の主は、今迄に一度も見た事の無いものだった。その姿は人からはほど遠く、大蛇に似ている。自分の背丈の何倍かも分からぬ、細長く大きな体。その全身を覆う、絶対的な堅さを誇る蒼い鱗。頭部から生えた一対の角。そして深い知性を思わせる瞳は──自分と同じように、紅に輝く。
ふとその瞳と視線が交錯したとき、『楓』は自分が不思議な感覚に捕らわれるのを感じていた。今迄、一度も見た事が無かった筈なのに、その輝きを、自分は「知っていた」ような気さえする。
その瞳を凝視しながら、『楓』は自分に生まれた一つの予想に半信半疑のまま口を開いた。だが、『楓』がその全てを言い終わる前に。その者は『楓』に告げる。