第拾話・迷夢
−月華の剣士インターネットノベル−

2000/4/18 - 2000/04/21
http://www.bluemoon4u.com/novels/mirror10_1.html

暗く、そして重く──血に濡れた紅い闇の気配。古傷を突付かれるような不快な疼きが、終わり無く続いてる。彼の意識はその何も無い世界をただ彷徨っていた。

今の自分に、動かせる身体は有るのだろうか。それとも、既にもう、あの男が自分に放った『負の力』に呑まれてしまったのか。それすら分からない。

何処から──そして、何時からだろうか。自分に呼びかける声がする……。

『……何を、迷っている?』

『迷っている? 俺が?』

『自分のしている事が、正しいかどうかが分からないんだろ? 本当に、人間に味方して良いのかどうか──』

『……何が言いたいんだ』

『お前も知っている筈だ。あの男の言う通り、人間達が自分の都合で殺し合いをしているのは事実だよ。馬鹿馬鹿しいと思わないか?』

『…………』

『そう。もっと言えば、お前の兄だって──お前を殺そうとしたんだ』

『あれは──』

『あいつなりの考えが有った、か? そうだと言い切れるか? それこそただの甘えだよ、そんな考えは。お前が「兄が自分を殺そうとした」という事実を、認めたくないだけだ』

『それは、俺が現実から目を逸らしていると言いたいのか?』

『違うとは言わせない。もっと言ってやろうか。お前は楓とは違った不安を抱いている。「自分」は、楓という人間が「青龍の力」を継ぐ為だけに創られた存在なのではという不安、まだ消えてはいないんじゃないか?』

『──!!』

『当然だよな、それを完璧に否定できる要素はどこにも無いんだ。やはりお前は独りなんだよ』

『……──ろ……』

『だから、大切な者を護ると言っている楓の為に、お前が命を懸ける必要も無い。人間達を護る必要もない。お前自身が人間に絶望したのなら、滅ぼしてしまえば良い』

『……やめろ、それ以上──言うな……!』

『何を怯えている。怖いのか? 自分の「力」が、本当に独りになるのが──もう一人の自分を裏切るのが!』

『やめろっ! 俺は──俺は!!』

彼の悲惨な絶叫が、その意識全てが、悪夢のような紅の闇に弾け──霧散した。

『──よ……少年よ……』

なんとも言えない不安定な感覚の中、再び誰かの声が「聞こえた」。先程とは違う、荘厳かつ穏やかな──どこか、懐かしいものを感じさせる声がする。

(今度は、いったい何だってんだ……)

妙に全身が重く、気だるい。そのくせして、全身が宙に浮かんでいるような感覚があった。と──

(……って……!?)

少しの間を置いて、彼は重大なことに気付く。「全身が浮かんでいるような感覚」──つまり、今の自分には確かな五感がある。ということは、先程までは在るかどうかすら分からなかった身体が、今は間違いなく「在る」ということだ。

彼は確信すると、ゆっくりとその双眸を開いていく。眩しいぐらいの真っ白な輝きが、目の奥に僅かな痛みをもたらす。だがその痛みが、急速に彼の意識を覚醒させた。

「いったい……?」

やっと目が慣れた頃を見計らい、『楓』は自分の体を見下ろしてみる。当然、見馴れた姿がそこにあり、その口から漏れたのもちゃんとした自分の声だ。

『目覚めたか、少年よ』

状況が飲み込めずに眉を潜めていた『楓』の脳裏に直接、先程の「声」が再び響く。それに対し、『楓』は反射的に顔を上げ──思わず絶句し、目を見開いた。

そこに居た「声」の主は、今迄に一度も見た事の無いものだった。その姿は人からはほど遠く、大蛇に似ている。自分の背丈の何倍かも分からぬ、細長く大きな体。その全身を覆う、絶対的な堅さを誇る蒼い鱗。頭部から生えた一対の角。そして深い知性を思わせる瞳は──自分と同じように、紅に輝く。

ふとその瞳と視線が交錯したとき、『楓』は自分が不思議な感覚に捕らわれるのを感じていた。今迄、一度も見た事が無かった筈なのに、その輝きを、自分は「知っていた」ような気さえする。

(青い「龍」……? まさか──)

「あんた、もしかして……」

その瞳を凝視しながら、『楓』は自分に生まれた一つの予想に半信半疑のまま口を開いた。だが、『楓』がその全てを言い終わる前に。その者は『楓』に告げる。

『我が「力」を継ぎし少年よ、我は汝と共に在りしもの。人は我を……青龍と呼ぶ』

「青龍……やっぱりな。あんたが、『負の力』に呑まれ掛けていた俺を助けてくれたのか」

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