第拾話・迷夢
−月華の剣士インターネットノベル−

2000/05/01 - 2000/05/01
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と、そこまで言いかけて『楓』は僅かに目を見開いて言葉を中断した。また新たな事に気付く。

「──そうか。俺は、ずっと無意識の内に孤独を選んでいた。だから、自分が死んでも誰にも関係無いと思って、捨て身の剣を振るっていた……。俺が死を恐れなかったのは覚悟でも勇気でも何でもない、ただ自分を諦めていただけだったのか」

自分が死んでも、誰も悲しまない。誰にも関係無い。だから、捨て身の剣を振るえた。何かを失いたくない訳でも、誰かを護る訳でも無しに。ただ、自分の命などどうでも良かっただけだった。

『少年よ、死を恐れよ。捨て身の剣は確かに強い。だが、その強さには自ずと限界が在ろう。そしてそれが本当の勇気と言えようか。捨て身の剣は己が護りたい者を、孤独にしてしまうだけなのだ。
汝は独りではない。当然、護りたい者も居る筈だ。ならばただ死を恐れぬ剣ではなく、生きる為の剣を振るう事を心掛けよ。護りたい者の為──そして自分の為に』

「…………」

自分に護りたい者など、居ないと思っていた。だが──

自分を心配してくれていた姉も、また逢おうと言ってくれた兄も。

そして、「自分」を受け入れてくれた楓も、今なら失いたくないと素直に思える。

何故ならその者達のおかげで、今自分はこうして「立っていられる」のだから。

「……生きる為の剣、か。考えた事も無かったな」

そう言って『楓』はいつもの不敵な笑みを刻んだ。そしてさらに言う。

「でも──気に入ったぜ。あんたの言う生きる為の剣、見付けてみせる」

しっかりと青龍の目を見て、『楓』ははっきり宣言した。曇りが全て消え去った、澄んだ瞳で。

やがて、それを見詰め返していた青龍はその双眸を閉じ、『楓』に言った。

『人の持つ「力」は、我ら四神の「力」をも凌駕するかもしれぬ。その「力」ならばあるいは──』

青龍の目が、心持ち開かれる。今迄感情の読み取れなかったその瞳に、何かが宿っていた。

『あの「朱雀」の守護神を、救ってやれるかもしれぬな──』

「…………」

彼は、飽くこと無く空を見上げていた。一面漆黒に塗り潰された空に君臨する、地獄門を。

──あれから、どれぐらいの時が流れただろうか。十年……いや、もっと昔かもしれない。その長い年月を、たった一つの想いだけを胸に生きてきた。

(もう少し……もう少しで、私の長年の願いが完遂する)

地獄門を解放すれば、人間を滅ぼし、新たな世界を創世できる。そして──

「──待てよ……」

「!?」

彼の思考を突然、背後からの声が遮った。予想もしていなかった事態に、さすがの彼も言葉を失って即座に振り返る。

「俺は、まだ闘えるぜ。感傷に浸るのは俺を倒してからにしな」

そこに立っていたのは、つい先程『負の力』で撃った筈の金髪の少年だった。決して五体満足とは言えぬ体ながらもしっかりと大地を踏み締め、刀を片手にじっとこちらを見据えている。

「馬鹿な……たとえ『青龍』とて、直接『負の力』を送り込まれては、精神が砕ける筈──」

こちらを挑発するような『楓』の言葉を無視して、彼は眉を潜めた。

彼自身が、一番よく知っていた。『負の力』がどれほど驚異的なものか。その威力は、四神とて精神や人格自体が破壊されるほどのものである。それに加えて、『青龍』といってもまだ若すぎる目の前の少年の精神力で、跳ね返せるものでは無い筈だった。

しかし、『楓』はいたって平然とした風体で顔をしかめてみせる。

「……こっちにも色々あってな。ともかく、俺はまだ倒れる訳にはいかないんだ」

それを半ば呆気に取られて眺めていた彼は──嘉神は、やおら目を細めて口の端を吊り上げる。その瞳を静謐な狂気が彩っていた。

「ふん……大人しく『負の力』に呑まれていれば、これ以上の苦しみは感じずに済んだであろうに。……まあ、良い。真に愚かなる者に私自らが手を下すのも、また一興か」

言って『負の力』を纏った刀を構える嘉神からは、『楓』を遥かに上回る殺気が現れ始める。

それを肌で感じながら『楓』は目を閉じ、自分にやっと聞こえるぐらいの声で己に言い聞かせる。

「俺は──決めたんだ。お師さんの仇討ちじゃなく、あんたのやろうとしている事を阻止する為にあんたを倒すと……」

勿論最初は、師の仇討ちの為にこの男と闘っていた。だが、青龍に逢って自分には護るべき者が居る事に気付き──そして考え、気付いたのだ。自分のやるべき事は、そんな事ではないと。

(そんな事をしてもお師さんが生き返る訳でも無い……それに──)

この『力』も志も、自分は「これから」の為に師から継いだ筈だ。それを過去の傷痕をごまかす為に使って、はたして師が喜ぶだろうか。それより、大切な者の──果てには人類の「明日」の為に『力』を使った方が、背負うものは大きいけれども遥かに良く思える。

(四神の『力』は守護の力……『青龍』、か。こういう意味かもしれねえな。──お師さん……この『力』、これからを護る為に使う事があんたの弔いになると信じるぜ!)

不思議と軽くなっていく心に小さく笑みを刻んでから、『楓』は目を開き、言う。

「あんたが人間を滅ぼす為に剣を振るうのと同じように、俺にだって剣を振るう理由が有る。その想いが、あんたの方が強いか、それとも俺の方が強いか……」

いつからか。その瞳には紅玉の原石に似た、妖しの輝きが宿っていた。

いや──もしかしたら、それこそが彼の持つ常人には無い紅の瞳の、本来の光輝かもしれない。

「──勝負だ。今度は、もっと派手にいくぜ!」

その瞳と声に強い意志を秘め、『楓』は目の前の男との決着の為──そして己自身が今を生き抜く為、再度闘いにその身を投じていった。

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