第拾壱話・大勇
−月華の剣士インターネットノベル−

2000/05/13 - 2000/05/16
http://www.bluemoon4u.com/novels/mirror11_2.html

(やべっ、大技か!)

背筋に冷たいものが走るのを自覚しながら、『楓』は後ろに高く跳び上がった。その真下──数瞬前まで『楓』が居た空間を、急降下してきた嘉神が全身に蒼い炎を纏い焼き払っていく。さらに躱されたと知るや、嘉神はそのまま地を蹴って『楓』へと肉迫した!

「何っ!?」

それは正に端麗な鳳を思わせる姿なれど、少しでも触れれば容易く焼き尽くされる。直感でそれを悟った『楓』は慌てて空中で、思いっ切り上半身を後ろに反らした。その勢いで、『楓』の身体がぐいっと大きく後方へずれる。そのお陰で直撃の軌道からは免れ、『楓』の目の前を蒼い炎が翔けていった。──が、

ボンッ!

さすがにその程度で全て躱せるほど甘くなく、躱し切れなかった『楓』の片足が炎の餌食となる。

「ぐ、ああっ!」

焼かれた激痛に苦鳴を迸らせつつも、『楓』は体を反らした勢いと足に食らった衝撃を使って、身を丸めて宙でくるりと一回転して、器用に着地した。──筈が、焼かれた右足に着地の衝撃が激痛となって駆け抜け、『楓』は僅かに呻いてバランスを崩し片膝をつく。

(一気に炭になっちまわなかっただけマシか……)

胸中で恐ろしいことを言い退けてから、『楓』は刀を前に放り出す。そして右足に鞭打ち、地を蹴って前方に身を投げて転がった。そうして自分の後ろに着地した嘉神の斬撃を避けてから、転がっていた刀を拾い上げて立ち上がる。そして、再び二人は対峙した。

「へえ……あんた、結構根性あるな。そんだけ食らってンのに、あんな大技出すなんて」

嘉神の肩口の深い創傷、そして地に付かんばかりの外套から鮮血──それが先程自分が斬った場所からの出血である事は、確認するまでもない──が滴っているのを見て、『楓』は軽口を叩く。

嘉神はそれを聞いて少し笑ってから言い返した。

「ならば言わせてもらうが、私からすれば貴様の方に感嘆する。それだけ致命傷に成り得る傷を負った上で、そこまで動けるのだからな」

「……そりゃどーも」

確かに、『楓』の方は胸板を袈裟懸けに斬られ、さらに脇腹を裂かれている。出血は既に止まっているので出血多量で倒れることはもう無いだろうが、重傷には変わり無い筈だった。

まあ、本音を吐けば『楓』自身、自分がいつ意識を失ってそのままになるのか、分からない状況なのだが。それでも未だ意識を保っているというのは、十二分に驚くべき事実である。

(もっとも──この足じゃあ、もう満足には動けそうにねえ)

己の右足の惨状に目をやって、『楓』は冷静な判断を下した。さすがに焼けただれてはいないものの、動かすだけで全身を突き抜ける痛みを伴う。どうやら、骨の方にも痛手が行ったらしい。

これでは立ち回りに今迄以上の神経を払わないと、悪化を招く事請け合いである。

相変わらず、不利な状況は変わらない。だが、嘉神の方も先程の攻防でかなりの手傷を負っている。もはや、二人とも長期戦に耐えられるほどの力は残ってはいまい。

(ここで一気にカタを付けとかないと、かなり辛いな)

それでも全く戦意を失わず、刀を構えて自分を見据えている『楓』を見て、嘉神は眉を潜めた。

「分からぬな……何故、そこまでして人間を護ろうとする? 命懸けでそれを護ったところで、貴様が得する事など何もあるまいに」

「確かに得する……ってのとは違うな。けど、人間は自分の利益と欲だけに生きてる訳じゃない」

平然と──それこそ当然とでも言うような『楓』の答えに、嘉神は相変わらずの嘲笑で応じる。

「本当に、そう思っているのか? 憐れな……」

そう言う嘉神の身体が、再びゆっくりと上昇していく。

どうやら嘉神の方も、これ以上闘いを長引かせるつもりは無いらしい。

「そんな考えは詭弁、そして偽善にすぎぬ。──あの『門』を見ろ」

嘉神が自分から視線を頭上の地獄門に移すのを見て、『楓』も警戒しながらも『門』を見上げた。

つい先程までは漆黒の半球であったそれの中に、今は何かが蠢いているのが分かる。それが何であるか理解した途端、『楓』の背筋を冷気が撫でた。あれは……常世の亡者達だ。

「あの亡者どもは自分の死を認めようとせずに、生への執着だけを持っている。その証拠に、もう地獄門が開きかけているのを嗅ぎ付け、ああやって我先に常世から這い出ようともがいているのだ。
 現世の者達も、あの常世の者達と同じ……いや、むしろ現世の者の方がそれを巧みに隠し、他人を陥れて利益を求めるだけ愚かと言うものだ。人間など生命ゆえに持つ自分の『限界』も忘れ、自滅していくような醜く脆い存在……。
 そのような醜態をさらすならば、いっそ滅ぼしてやった方が増しというもの」

「……俺も……人間は脆い生き物だと思うぜ。支えるものが無くなっちまえば、いとも簡単に自分の弱い部分に負けちまう」

当然、『楓』だって人間のそんな部分を知らない訳ではない。

実際に自分は、自力であの『負の力』の創り出した幻影を破れなかった。それは不安や疑心などの、人ゆえに持つ自分の弱い部分に負けてしまっていたからだ。

でも……自分は。人間がそれだけのものではないという事だって、よく知っている。

再確認するようにしばし黙っていた『楓』は視線を戻し、こちらを見下ろす深緑の双眸を見詰め返した。その瞳に宿る凛とした輝きが、彼の意志の強さを何よりも雄弁に語る。

「──けどな、人間だってまだあんたに滅ぼされるほど堕ちちゃいない。
 人は何かの為なら、幾らでも強くなれる。自分の弱い部分だって、跳ね除けられる筈なんだ。
 そもそもあんたの言う限界なんてもんは、自分で決めるものじゃねえか。だから自分がそう感じない限り、限界なんて無い。
 俺は人間にその強さがある限り、人間の『明日』を信じるぜ。一人の人間として──」

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