身支度を整えて、楓は朝早くに宿を引き払った。あの男を本格的に捜し始めて、もうどれぐらい経っているのだろうか。楓にとっては唯一の親であり、師である者を『殺した』あの男──。
(兄さん……)
ふと脳裏に、自分に稽古をつけてくれた義兄の顔と、血濡れの刀を持って既に動かぬ師の側に立ち尽くしていた彼の顔が浮かぶ。
五年経った今でも思い出す必要も無い程に、あの光景は楓の心に焼き付いていた。血と師の躯と、虚ろにこちらを見返す兄と──(兄さん……っ!)
胸中で苦鳴を漏らし、楓は鞘入りの刀──師の形見である「疾風丸」を握っている左手に力を込める。それは無意識の内の行動だった。 やがてそれに気付き、彼はばつが悪そうに小さく自分を嘲笑う。
(何を、やってるんだ。僕は……)
そう自分に言い聞かせ、楓は暗い気分を打ち払うかのように空を振り仰いだ。しかし見上げた空に太陽は無く、何時の間にか雲に覆われていた。白い。そして、
(……雪……)
タイミングを見計らったかのように、白い雪が舞い下りてくる。そしてそれは楓の頬に落ちると、溶けて消えてしまった。儚く脆い天よりの使者──。
「あ! お姉ちゃん、雪降ってきたよ! 雪!」
「あら、本当。真っ白で奇麗ね」
前方から聞こえてきた声に楓が視線を移すと、幼い姉弟が空を見上げながら元気にはしゃいでいる。さすがに街道の真ん中のことなので、周りの旅人や商人が視線を飛ばしている。といっても、後に「幕末」と呼ばれる事になる乱雑なこの御時世では、なんとも微笑ましい光景であったが。 そして楓にとってその光景は、もう一人の家族を思い出させるものだった。