第壱話・兆候
−月華の剣士インターネットノベル−

1999/01/07 - 1999/08/11
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「楓……やはり貴方は、あの人を追うつもりなのね」

楓は雪景色の中、彼女を見下ろしながら無言で頷く。
 彼女の名は、雪。楓の家族──と言っても彼女の金髪と青い瞳が示す通り、義姉だ。今は地に傷を負った手をつき、肩で荒い呼吸を繰り返している。地に手を付いている以外は、楓も同じだった。

──当然だろう。楓と彼女は、今さっき刃を交えていたばかりなのだから。

楓は自分の目で全てを確かめたいと願う。
雪は自分の力で全てを止めたいと願った。

そんな二人の信念のすれ違いがあったがために、二人は刀を交えなければならなくなった。そして……己の信念を強く貫いた楓が、雪を見下ろす結果となったのである。とはいえ、楓に本当に姉を『見下ろす』気は更々無いが。

「……じゃあ、僕は行くよ」

ただそれだけを告げると、楓は目を閉じて雪に背を向けて歩き出した。  ──もしかしたら自分は姉の前にいるのが、苦痛だったのかもしれない。そう思い、楓は自分自身に心の中で苦笑した。自分はなんと『弱い』のだろ う──

「楓」

突如、背に掛かった姉の言葉に楓は黙ったまま立ち止まる。雪の口調が、今迄以上に真剣なのに気付いたのだ。

「もう、私は貴方を止めない。でも、これだけは聞いてちょうだい。後は……貴方が判断して」

「……分かった」

雪の台詞にしばし戸惑いつつも、楓は深く頷く。聞けば、自分は兄を追うのを止めたくなるかもしれない。そうは思ったが、楓には姉の真摯な呼びかけを無視できなかった。そんな剣士らしからぬ優しさが、楓の良いところでもあり、悪いところでもあるのだ。楓の答えに、雪は呼吸を整えて立ち上がってから言葉を続ける。

「貴方は……あの人が師匠を殺したと、そう思って追っているのでしょう?」

「『思って』?」

訝しげにその言葉を繰り返して振り返る楓に、雪はゆっくりと頷く。そして少し躊躇うように息を吐いてから、はっきりと口にした。

「師匠を殺したのは、あの人じゃない」

「──え……?」

雪の言葉が、脳裏に冷たくそして重く響く。無意識の内に、楓の口から声が漏れる。正に、頭の中が真っ白になった気がした。

「兄さんじゃ……ない?」

呆然と呟く楓に、雪は諭すように言い放つ。

「そう……師匠を殺したのは、四神の一角の『朱雀』──嘉神という男よ」

四神──。前に、師の慨世に聞いたことがあった。  遥か時の彼方より、「地獄門」と呼ばれるものを護っている存在だと。とはいえ、それを聞いたのは楓がまだ幼い頃の話で、地獄門がどうようなものかすら知らなかった。実際、ただの御伽噺だと思っていたのだが……。

「だから──」

雪がまた口を開いたのに気付き、楓はハッとして彼女を見詰める。

「……あの人の事だから、自分でその男を追おうとしているのでしょうね。あの人は、なんでも自分一人で抱え込んでしまうから……いつも、私達を巻き込まないように自分を犠牲にしていたから……」

知っている。兄のその性格は。昔からいつもそうだった──知っていた。  微かな記憶を思い返し、楓は瞼を閉じる。

雪の言葉が止まった。いや、終わったのだろう。そして恐らくは、自分を見ている。自分はその視線に、応えなければ──決断を下さなければならない。

(僕……は──)

師を殺したのは、兄ではない。仇は兄ではない。もう自分が兄を追う理由は、無くなった筈だ。だけど──自分は……兄に逢って確かめたかった。姉の言葉を疑うわけではないが、自分の目で真実を──。そのために、自分は兄を捜してきたのだから。もしかしたら──

(僕は、仇を討つ為じゃない。ただ本当のことを──五年前のことを自分で知りたいから、ここまで来たのか……?)

今、己で初めて気付いたその事実に楓は溜め息をつく。だが、自分の中に引っ掛かっていた何かが──取れたような気がした。そして楓は再び、雪に背を向ける。今度はしっかりと姉に答えながら。

「僕は、やっぱり兄さんを追うよ。別に姉さんの言うことを信じていないわけじゃないけど、僕は僕自身の目で……全てを確かめたいんだ」

その楓の言葉は、自分自身への確認でもあった。もう戻らない──戻れないと、何年も前から知っていた筈なのに。今の今迄、やはり自分は戻れることを心のどこかで望んでいたのだろうか。

(でも……過去にすがってる場合じゃ、ないんだ)

そこでやっと、楓は瞼を上げる。そして、改めて歩き出した。  真っ直ぐで──どこか悲しき姉の視線を、その背にしっかりと感じながら。

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