地上から守矢の頭上まで薙ぎ払われた「月の桂」が、正しく月のように蒼白く円い軌跡を描いた。それをまともに食らった楓は、大きく吹っ飛ばされる!
「ぐ、あ……っ!」
そのまま高々と宙を舞ってから、重力に従って大地に強く叩き付けられた。
「く……」
僅かに顔をしかめつつ、楓はすぐに地に突き立てた剣を支えに立ち上がる。片手の添えられたその腹部には、決して浅くはない傷が口を開けていた。
しかし、楓は腹部から手を離して附いた血を振って掃うと、さも愉快そうに笑みを浮かべる。とても無理に浮かべたとは思えない。
「やるじゃねーか。さすが、だな」
「そういう貴様もな。動きがまるで『別人』のようだぞ。──かといって、お前が『楓ではない』とは言い切れんがな」
「────」
その言葉に楓の表情が微かに動いたのを、守矢は見逃さなかった。
(やはり……)
間違い無い。妙な言い方になるが、彼は──楓であって楓では無いのだ。容姿や性格が変わった、というよりも、人格自体が違うと言った方が正しく思える。それでいて、全く別の人格とは言えない何かを──守矢の知る楓と通ずる『何か』を持っているようだった。
「へえ……気付いたか。大したもんだ」
「むしろ気付くのが遅かったがな。余程の馬鹿でなければ分かることだ」
感心したような台詞の楓に、吐き捨てるように守矢は言い返す。その言葉に含まれた刺々しさを軽く受け流し、楓は口元に手を当てた。
「……じゃあ、それに気付いてないもう一人の俺は、余程の馬鹿なのかい?」
「気付いて……いない?」
構える事すら忘れて問い返す守矢に、素直にこっくり頷いて楓は言う。
「ああ。ま、奴が俺自体を受け入れてないんだから、気付かないのも当然っちゃ当然なんだけどな」
そういって小さく肩を竦めると、楓は刀を少し上げて構えた。
「──さて。もう種明かしはここら辺で良いだろ。そろそろけりを付けねえと、せっかくのお月さんが隠れちまうぜ」
「……そうだな」
面食らったのも束の間、守矢は楓の言葉に即座に同意して刀を掲げる。その瞬間、吹きすさんでいた風が戦慄くように──止んだ。
「行くぜ!」
言うと同時に楓が、月下を駆ける。それに対して、守矢は鞘に刀を戻した。
「貴様の純粋な強さは、賞賛に値するな。なれば、私も応えよう……。食らえ──十六夜月華っ!!」
ほとんど無防備に突っ込んでくる楓を、先程までのものとは鋭さが格段に違う幾条もの白刃が迎え撃つ。楓は──それに怯むことなく、そのまま突っ込んだ!
シュバッ! ザン! ザシュッ!
その刃の幾つかをまともに受けつつも、楓はまるで痛覚が無いかのようにお構いなしに走り抜けて、守矢の目の前にその姿をさらす。
(馬鹿な──こいつには恐れというものが無いのか!?)
「晨明・嵐討!」
守矢の内心の驚愕を余所に、楓は駆けてきた勢いで体当たりを食らわした。そして、怯んだ守矢にとても手負いとは思えぬ速さで斬りつける。
「ぐっ……!」
「これで、決めさせてもらうぜ!」
大きく斬り上げる刃で守矢を吹っ飛ばし、すぐに気合いと共に、楓は刀を軽く引いた。その刀身に、蒼白い輝きが収束していく。そしてその刃の切っ先を、大地に突き付けて楓は猛々しく吠えた。
「──伏龍!!」
ガカッ──ドンッ!
その瞬間、ちょうど月を隠した雲から天と地を繋ぐかのように駆け降りた数条の落雷が、楓の一撃で宙に舞っていた守矢を何回も容赦無く貫く!
「──!」
守矢はまともな悲鳴も上げれぬまま、そのまま地に落ちた。蒼雷の直撃の反動のせいで、かなりの高度を落下する。
「う……」
地に叩き付けられたまま呻く守矢の、視界に無表情な月と楓の姿が有った。
あと数秒もしない内に、自分は死ぬのだろうか。『あの男』に追いつく事無く。しかし、悲しくは無い。怖くも無い。心は異様に静かだった。