第伍話・光芒
−月華の剣士インターネットノベル−

1999/04/10 - 1999/08/19
http://www.bluemoon4u.com/novels/mirror5_2.html

「自分から、逃げるんじゃねぇよ。情けねえな」

「────」

一瞬。新たに闇が震えた一瞬で、楓の血を吐くような苦悶の絶叫がふつりと遠のいた。

(……え……?)

──そんな筈が無い。だが、そうとしか考えられない。そう思った瞬間、楓は自分がそこまで考えられるほどの冷静さは取り戻した事に気付く。同時に、ゆっくりと振り向いた。そこには──そうである筈の無い、しかし楓の予想通りの姿が有った。

「……ったく、ここまでやっても分からねーのかよ」

肩越しに呆然と見上げる楓に、彼──『楓』は半眼でぼやく。いたって平然と、いつもの調子で。

「な、んで……?」

なんとか立ち上がって振り返り、先程とは別の意味で混乱して震える声で聞く楓に、『楓』はあっさりと答えた。──気が付けば、その胸板から傷は跡形も無く消えている。

「何で生きているのか、か? そんなもん、芝居に決まってンだろ」

言いつつ『楓』は上半身を傾げて、地に転がる二本の刀をひょいと拾い上げた。

「???」

何もかも、意味が取れない。『楓』の傷が消えている事も、平然と自分の前に立っている事も、何時の間にか『楓』の胸から刀が抜けている事も──つまり『楓』が生きているという事自体が。いきなり「芝居」だと言われても、ピンと来る筈が無いというのに。

未だ困惑している楓に、『楓』は苦笑した。

「全然、理解できてないみたいだな。その様子じゃ、自分の傷も消えてる事も気付いてねーだろ」

「……え?」

訝しげに声を上げてから、楓は改めて自分の体を見下ろす。確かに──何故かは知らないが──所々にあった筈の大小様々な傷は、今や完全に消え失せていた。あの胸の傷も、痛みさえも。

「どういう、ことなんだ?」

呆気に取られた口調で──無理も無いが──尋ねる楓に、『楓』は無言で二本の刀を掲げる。そして、無造作にそれを宙に放った。その途端、

「!?」

楓はその光景に言葉を失い、息を呑む。目の前で宙に放られた刀が──二本とも、虚空に溶けるように消えてしまったからだ。

「──こういうことさ」

声に楓が再び視線を上げると、『楓』が肩を竦めているのが目に入る。

何となく──どうやったかは知らないが──、楓はやっと理解できた気がした。

「つまりこの空間での事は、全て君が仕組んだ事、なのか? ──何故……、どうやって?」

「……言ったろ? 『お前が本当に恐れているのは死ぬ事じゃない』ってな」

応える『楓』の言葉は、楓の求めたような答えではなかった。それどころか、その言葉は楓の心に再び苛立たしさをちらつかせる。

「それが、何だって言うんだ。僕が他に恐れているものなんて──」

「──じゃあ、なんで俺に対して殺意を持った?」

目を逸らして反論しかける楓の言葉を遮り、『楓』は一転して厳しい口調で逆に問いを突き付ける。それに対し目を逸らしたまま楓は身を堅くし、はっきりと動揺を示した。

──否定できる訳が無い。既に、彼は自分の中の「殺意」に気付いているのだから。

「それは……はっきり言って、僕も分からなかった。何故、君を──『自分』を『殺してやりたい』なんて思ったのか……」

そうやって口にするだけで、先程の恐怖が少しずつ楓の心に戻ってくる。それらを遮断するように、楓はきつく目を閉じた。と、

「……人間に限らず、動物ってのは未知のものを最も恐れる。そして初めはそれから逃げたり、あるいは消去したりして自分をごまかしたり、無理矢理に納得させようとする。
──お前も、それなんだよ」

「え?」

突然の『楓』の解説じみた台詞に、楓は訳が分からず疑問符を浮かべる。それを見て、『楓』は一つ溜め息を吐いてから続きを──つまり、結論を──口にした。

「お前が殺意を持ったのはな。俺を──『自分』を『恐れている』からさ。──違うか?」

(……あ──)

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