『楓』の言葉を聞いた楓の脳裏に、ようやく何かが閃く。闘うときの迷い。拭い去れぬ不安。『楓』とやりあう前に感じた、あのもどかしさ。あれらは──今考えてみれば、心の何処かで『自分』を恐れて、否定していたからなのだ。だから、自分の真意が分からなかった。
(そう、か……僕は……怯えていただけで、『自分』の事を何も分かろうとしなかった……)
激しい脱力感に、楓は溜め息と共に肩と視線を落とす。
──そう。怯えていた。何時か、もう一人の自分に自我を乗っ取られるのではないか、と。ただ我武者羅に、思い込んでいた。もしかしたらあの夢も、その影響なのかもしれない。
結局、自分は、真実を知るのが怖かったのだ。それを知る事で、傷つくのが怖かった。
(傷つくのは、当たり前なんだ)
「──問題は、それをどう乗り越えるかなんだぜ?」
胸中での楓の呟きを読んだかのようなタイミングで──実際、読んでいるのだろうか?──、『楓』が言葉を紡ぐ。そのタイミングの良さに面食らった顔で頭を上げる楓に、彼は不敵に笑った。
「自分を信じもしないで、強くなれる訳がねーよ。それがお前の敗因だぜ。守矢ンときは、既に自分に負けていた事になるんだからな」
「だから君は──僕には無理だ、と言ったのか」
半ば面食らったままで、楓はあの時の『楓』の言葉を理解した。──と、何かに気付いたのか楓は突然、その表情を真剣なものに変える。
「もしかして……君はそのことを僕に伝える為だけに、ここまで──?」
眉を潜めて問う楓に、『楓』は目線を逸らした。まるで楓をからかうかのように。
「さあ……な?」
加えて、はぐらかすようにとぼけてみせる。それを聞き、楓は不満そうに顔をしかめた。『楓』は横目にそれを見やり、小さく笑う。
それは、先程までの彼の言動からは到底考えられない、深く優しい笑みに見えた。楓が思わず、息を呑んでしまったほどに。
「──そろそろ、時間だな」
『楓』はそのまま不動の闇を見上げ、意味深な台詞を吐く。その言葉に、思わず楓は首を傾げた。
(時間って、何が──)
だが、楓がその問いを口にする寸前に、
バチッ──!
「──!?」
何の前触れも無くその目の前で何かが弾け、それを合図に視界に光が溢れ始める。
「これ、は……?」
「ここに長く居ることは、お前にはできないからな。意識が戻り始めてるのさ」
いきなりの奇怪な現象に、目の前に指を翳し戸惑う楓に、『楓』はそれが何であるか──分かっているらしく、上を仰いだまま答えた。だが、そんなことを言われても楓が納得できる訳が無い。
いったい、何が起こり始めているのか。楓はそれを『楓』に問う為に、口を開く。──筈が、
(!! 声が──!?)
楓は再度息を呑み、口元に手を当てた。その口からは問いどころか、声すら出る様子は無い。まるで、何かに奪われてしまったかのように声が発せられる事は無い。
それにも関わらず、光は徐々に青みを帯びながら楓の視界を──意識を埋め尽くしていく。
「じゃあな、楓。俺の言った事、忘れンなよ」
(待っ──)
『楓』に──視界を占めていく光に、楓が待ったを掛ける暇も無く、
カッ──
次の瞬間には膨大な蒼穹の閃光が、一瞬にして彼の意識を飲み込んでいた。
やがて──彼は、闇からもう一人の自分の気配が完全に消えたのを確認して、深く嘆息した。まさか、たった一つの事を教えてやる為だけに、ここまで『力』を使う羽目になるとは思わなかった。
(……ったく、楓の奴も変に純で思い込みが激しいからな……昔から──)
我知らず半眼になり、彼は胸中でぼやく。そう──昔から、自分は楓を見ていた。楓がこの自分の存在に気付く前から、この場所で。