幼い時に、ここから見たもう一人の自分は、笑っていた。暖かい家族というものに囲まれて。
それを見たとき、楓が憎かった。彼が悪い訳ではないと分かっていても、まるでこの自分の存在は、あの『力』を継ぐ為だけに造られたものだと、暗に言われているようで。
同時に、楓が羨ましかった。何故自分だけが、ここに閉じ込められなければならないのかと──。
自分は生まれたときから、視界に入るのは「黒」しかないこの空間に居た。ずっと昔から自分の周りに有り、同時にずっと昔から自分にはこの闇しか無い。ここが彼にとっての「世界」であり、逃げる事も出る事も出来ない「檻」でもあったのである。少し前から楓の代わりとして、微々たる時間ながら「外」に出る事が可能になる以前は。
(あいつと違って俺には、何も無いと思ってた。俺は独りなんだと──。
だけど、それは……違っていた。俺は独りなんかじゃ、なかったんだ)
真剣な表情で、彼は再び闇を見上げた。その中であっても、紅い瞳は闇に染まってはいない。
自分は独りじゃない。そう気付いた──いや、教えてくれたのは。何年前だったろうか。
確かもう一人の自分が、「ここ」に迷い込んできた時だったのは覚えている──。
彼はいつものように、呆然として闇を眺めていた。どこか、くすんだ二つの真っ赤な瞳で。
もう、どれぐらいこんな事をしているのだろうか。その事も飽く事もこの現実を悲しむ事すら、自分はとうの昔に忘れてしまっている。──と、
「……あれ?」
いつもと変わらない──変わる筈も無い視界の端に、何か闇とは別質のものを見た気がして彼は思わず声を上げて闇を凝視した。緊張感と好奇心に心が高揚し、その目に強い輝きが宿り始める。
(何だろう?)
何かが有るのは分かったが、ここからではいまいちそれが何なのかが分からない。じっとしていても仕方が無いと判断し、彼はそれに向かって駆け出した。彼の視界の中でそれは、徐々に確かな形を現し始める。やがて──
「──!?」
それがはっきりと判別できる距離まで来て、彼は足を止めた。同時に、驚愕に目を見開く。
そこに有った──いや、居たのは。彼が、憎悪と羨望の入り混じった視線を送っていた少年──
「楓……」
無意識の内に彼は、その少年の名を口にしていた。突然に名を呼ばれて、少年は──楓は強ばった表情でこちらに振り向く。が、彼を見た途端にそれはあどけないものへと変わった。
「君、誰──?」
僅かに首を傾げて問う楓に、彼は答える事無く黙り込む。
勿論、名前が無い訳ではない。ただ、口にしたく無かった。何故かは分からないが。
「何故──お前がここにいる?」
楓の問いを無視する形で、彼は固い声音で逆に聞き返す。すると、楓は自分の問いが無視された事を気にする事も無く、辺りを見回してから言った。
「分からない……。気が付いたら、ここに居たんだ」
「ここは、お前の来る所じゃない。早く帰りな」
微量の苛立ちと共に台詞を吐き、彼は踵を返す。そして楓から遠ざかるように歩き出す──寸前、
「待って!」
即座にその背から、楓の悲鳴じみた声が掛かった。思わず彼が足を止めて肩越しに振り向くと、楓がじっとこちらを見詰めている。
「帰り方も分からないし……一人で居たくないんだ」
実際に不安そうな顔と瞳で、楓はそう訴えた。しかし彼は、それを無感情に突っぱねる。
「俺は──ずっと独りだった」
「……え?」
俯き掛けた顔を上げて疑問符を浮かべる楓を、彼は半ば睨み付けるようにして言葉を続けた。
「お前は、独りじゃなかったんだろう? いつも、周りに誰かが居た。今だってそうだ。だけどな、俺はずっと独りでここに居たんだ」
自分がここに「在る」という事に気付いてから──もう一人の自分である楓が、自分とは違って束縛の無い光の中に居ると知ってから、ずっと積もり重なってきた吐露を全てぶちまけるように彼はまくし立てる。それを聞いて、楓は唖然とした顔で呟いた。
「ずっと……君はこんな真っ暗なところに、一人で居たの?」