「あの、それってどんな方でした? 容姿とか、様子とか……」
極力感情を抑えて問う楓に、男は首を傾げて唸ってから答えた。
「そうだな……珍しい来客だったし、赤い髪の事はよく覚えてるよ。年も背丈も、あんたより少し上ぐらいかな。あんたみたいに刀を持って──あぁ! そういや、その兄ちゃんもえらい刀傷を負っててね。俺があんたも休んだ方が良いって言ったのに、断ってすぐ出ていっちまったよ」
「……そう、ですか……」
楓は気の無い言葉を口にしてから、視線を落とした。それに、微量の動揺と驚愕が混じる。
(兄さんが──僕を助けてくれた……?)
今の話を聞く限り、どう考えても自分をここに運んだ者というのは兄としか考えられない。今考えてみても、自分が倒れたあのような場所に深夜に出向く物好きなど、そうそう居ない筈だ。それは勿論、この男も例外ではない。
となれば、竹林を出ようとしていた守矢が倒れていた自分を見付けてここに運んだ、と考えるのが一番自然に思える。──状況としては、それで妥当だろう。だが、
(兄さんの方から、闘いを仕向けてきたのに──助けてくれるなんて……)
どうもつじつまが合わない気がしてならない。結局、兄は──
「どうした、兄ちゃん。まだ傷が痛むかい?」
「え? あ……いや、大丈夫です」
一人黙って考え込む楓を痛みを我慢している──実際、堪えてはいるが──のと勘違いしたか、男は心配そうに視線を寄越した。楓はその言葉でハッと我に返り、明るく否定する。
しかし、それに無理が有るのに男は気付いたらしく、その顔付きを真剣なものへと変えた。
「……傷もそうだが、あんた何か訳ありなんだろう? 俺で良かったら、話してくれないか」
「…………」
神妙な声音のその言葉に、楓の表情も沈んだものへと戻ってしまう。
確かに、今ここで事情を話すのは簡単だし、その方が楓自身も楽にはなれる。
だが──、言える筈が無い。それは少なからず、この男を捲き込んでしまう事になるのだから。これ以上、誰かを捲き込む事は出来ない。
楓は胸中の葛藤を隠すように、俯いて男から視線を逸らした。そのまましばし時が経ってから、男は諦めたように溜め息を吐いた。どうやらこれ以上聞いても仕方が無い、と悟ったらしい。あるいは、これ以上突っ込んでは、楓が辛いだけだと気付いたのか……。
「話せる訳が無い、か。ま、いいさ。あんたからしてみれば、俺は他人なんだしな」
「すみません。助けて頂いたのに、事情も話さないだなんて……」
優しい声音の言葉に罪悪感が増し、楓は暗い表情のまま男に詫びた。すると男は笑って言い返す。
「なに、話したくない事情だってあるだろ。むしろ突っ込んじまったこっちが、詫び入れないとな」
「そんな、あの──別に……」
頭を上げて慌てて何かを言おうとする楓に、いきなり男は豪快に笑い出した。そしてあまりに突然の出来事に驚き、言葉を中断した楓にさらに言う。
「おいおい、男だったらもっとどしっと構えなきゃ駄目だぜ、兄ちゃん」
「は、はあ……」
完全に男のペースに呑まれ、面食らったまま楓は生返事を口にする。
だがそれでも、内心ではこの男の器の大きさに感謝していた。それが顔にも現れたか、楓の表情を見て男は満足そうに頷き、今度は意地の悪そうな笑みへと表情を変えた。
「それに──そんなんじゃ、『兄ちゃん』が悲しむぜ?」
「………は?」
「兄」という部分にわざとアクセントを置いた男の言葉にしばし──いや、かなりの時間沈黙してから楓は声を上げる。それを合図に、やっと楓の中に初めて驚愕が姿を現した。その目が、僅かに見開かれる。
「なっ、なんで──!?」
「……へえ、やっぱ兄弟だったのかい」
痛みも忘れて身を乗り出す楓の台詞を遮って、男は平然と一人で納得した。それを聞いて楓は先程の倍ぐらいの時間を硬直し、思案を巡らしてからようやく声を張り上げた。
「ちょっ──かま掛けたんですかっ!?」
怒りとも悲しみとも取れない感情に赤面して喚く楓に、いともあっさりと男は肯定する。
「まーな。理由は分からんけど、あんたら闘ってたんだろ? その闘った相手をわざわざ手当てしてもらうなんざ、よっぽど縁のある相手にしかできないもんさね。あの兄ちゃんえらく堅そうだったし、尚更な。しかも──」
その推論に何も言い返せずにいる楓を見据え、男は笑みを濃くして続けた。
「『伝言』なんか、他人に残さないだろ。普通はさ」
「……え?」
「あの兄ちゃんな。ここを出る時に、あんたに伝えといて欲しいって伝言を残していったんだよ。確か──『私が己の道を行くが為に、お前まで捲き込んでしまった事を詫びる。私はお前の行く道を、邪魔するつもりは毛頭無い。何時か時が来たら、また逢おう』──って、言ってたかな」
半ば抜け殻状態で問い返す楓に、男はスラスラと伝言を口にする。それを聞いて楓は何も言えずに、困惑と驚愕の入り混じった複雑な表情で黙した。
まさか──兄が自分に言葉を残していくなど、思いも寄らなかった。あの五年前の時でさえ、兄は何も言わずに自分の前から去ってしまったのだから。でも──安堵できるのは、何故なのだろう?
「……あんた、さ。なんかえらい事情を抱えてるみたいだけど、あんま考えてばっかりいないで前向きに生きていかないと疲れちまうよ」
完全にふせってしまった楓に助け船を出すように、男は囲炉裏を棒で突っつきながら切り出した。
「確かに時には、悩んだりする事も必要だと思うけどな。自分の人生なんだ、自分の気持ちに正直に生きてかないと勿体無いぜ」
虚ろな瞳のまま顔を上げる楓の目の前に、男はその棒と言葉を突き付けた。それらを受け、楓はしばしそのまま男を見詰める。が、やおら小さく微笑んで呟いた。
「何で、でしょうね。貴方の言葉を聞いていると、父の言葉を聞いているみたいな気がしてきます」
楓が不安になった時に、何時も父は──師は『言葉』をくれた。子供の楓にとっては、あまり優しいとは言えない厳しいものばかりだったが、それらは今も自分の心を支えてくれている。
そんな意味で男の言葉も、師の言葉にどこか似ていた。聞くだけで、安心させてくれるような──その楓の言葉を受けて、男もフッと表情を崩す。