第拾弐話・晨明
−月華の剣士インターネットノベル−

2000/05/25 - 2000/05/27
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「…………」

『楓』は危なげながらも両足で着地すると、大きく息を吐いた。そして刀の柄を握り締めたまま、肩で荒い呼吸を繰り返しながら前方のもうもうと立ちこめる煙を見詰める。

(もう、余力はねえ……立つなよ……)

あの一撃で、体力も精神力もほぼ使い果たしてしまった。もうまともに刀を振る力すらありはしないだろう。ここで嘉神がまだある程度動ける状態なら、自分に太刀打ちする術は無い。

半ば祈るような気持ちで前方を見詰める『楓』の前から、砂埃が少しずつ薄れていく。

──やがて『楓』の視界を遮るものが、全て消え去った。『楓』は思わず、目を見開いて呻く。

「……『青龍の力』、まさかこれほどのものとはな」

『楓』の前に、あの男が立っていた。右肩から左のわき腹にかけて、白い筈の服を真っ赤に染めるほどの深い傷口を見せているにも関わらず、しっかりとこちらを見やりながら。

「く、そ……大した化け物だぜ」

本気で喉が破れたか、『楓』は口の中に溜まった血を吐き捨ててから痛む喉で無理矢理に声を出す。

「ふ……化け物とはご挨拶だな、貴様とて対して変わらぬだろうが。もっとも……」

不意に──呟いた嘉神の身体が、ぐらりと後ろに傾ぐ。そのままドンッと音を立てて、嘉神は身体を背後の壁に預けた。そして、『楓』以上に苦しげな息継ぎを始める。

「我が『力』、どうやら……ここまでのようだ」

激しい呼吸の合間を縫って言う嘉神の瞳は、先程以上に虚ろに見えた。気が付いてみれば、その手に持つ刀から例の『負の力』の青い焔は消えている。

「先程の貴様の『青龍の力』が、『門』にも影響したようだな。『門』の波動が、弱まっている」

嘉神は確かめるように自分の左手を見てから独り言のようにごち、次いで天空を見上げる。

つられて『楓』も空を見上げると、嘉神の言葉通り、『門』に映っていた亡者達の姿は既に無く、辺りに充満していた瘴気も心なしか薄れているようにも思えた。

「──っても、さすがに俺一人の『力』じゃ、完全に閉じる訳にもいかねーみたいだけどな」

「当たり前だ。だが……逆に、貴様一人の『力』でここまで抑えたという方が信じ難い……」

苦笑してぼやく『楓』に視線を投げ掛け、嘉神はまるで『楓』を招くかの如く己の血に塗れた左手を翳す。そして、フッと目を細めて言った。

「どうした……私に止めを刺さぬのか……? 貴様は師の仇を討つ為、ここまで来たのだろう?最早、私に貴様に対抗する『力』は無い。その刀で私を刺せば、それで済むのだろうが」

「……そうだな。俺は、お師さんの仇を討つためにここに来た……」

嘉神の言葉に、『楓』は神妙な顔で応じた。確かに、数歩歩いて目の前の男の胸板に刀を突き立てれば、師の仇を討つには十分事足りるだろう。

だが──今の自分は、その為にここに居る訳じゃない。

「最初は……そのつもりだったんだけどな。けど、あんたと闘っている間、ずっと考えてたよ。本当にこれが自分のすべき事なのか、さ。……随分と時間がかかったが、やっと結論が出た。
 あんたを斬る必要は、俺には無い。俺は仇討ちじゃなく、『門』の開放を阻止する為に闘ったんだ」

「……甘いな。真っ当な手段で、人間が因である時代の廃退を止める事は出来ぬというのに……」

とても瀕死とは思えぬほど、嘉神の言葉は強く、そして重い。しかしそれを正面から受け止めた『楓』も、その瞳に今迄以上に堅い意志を覗かせた。

「時代は、常に動いてる。当然、その中で良い時代も悪い時代もあるだろうさ。それでも、人は……いつも新しい時代を良いものにする為に、歩き続けているんだ。それが、生きるって事なんだろ。
『俺達』は……それを見届けゆくために在るんじゃないのか?」

「そのような悠長な事を言っている場合ではないと私は言っているのだ、『青龍』よ。誰かが──変えなければならぬ……」

頑として『楓』の言葉を拒む嘉神に、『楓』はしばし考え込んでから新たに口を開く。

「あんたも当然分かってるんだろうが、『俺達』の『力』自体は人にとっても十二分に脅威になる。
 それだからこそ……そんなもので無理矢理に時代を変えようとしても、俺は時代が良くなるとは思えない。ただ滅ぼすだけじゃ──『力』を翳すだけじゃ、何も生まれはしないからな。
 少々、侮辱するような言い方になっちまうかもしれないが──今のあんたのやり方も、あんた自身の嫌う利己的な人間のやり方と同じにしか見えないね」

「……私、が……汚らわしい人間どもと同じ……だと?」

憮然とした顔で片眉を潜める嘉神に、『楓』は瞳に鋭い刃の如き光を混じらせてさらに言う。

「俺から見れば、な。何度も言うが、四神とか守護神とか云われてるけど、『俺達』は神じゃない──人間だ。当然、俺にもあんたにも人間のそんな部分があるのさ。
 けど、今のあんたは──『朱雀』の名で自分の行為を正当化してるようにしか見えないんだよ!」

「────」

『楓』の容赦無い指摘に、嘉神の表情が強張るように僅かに動いた。目敏くそれに気付いた『楓』は疲れたのか一回深く息を吐いてから、呆れたように顔をしかめつつも言い方を和らげる。

「何故、自分を無理矢理納得させようとするんだ? そこまでして人間を滅ぼす事に、本当に意味があるのかよ。確かに駄目になっちまったものは、滅ぼす方が簡単だし早いかもしれない。でも本当にこの時代をどうにかしたいなら、時間が無いだの無理だの言う前に、あんたが別のやり方で『変えていけば良い』だろ。四神じゃなく、同じ一人の人間として──。
 ……それが、あんたに止めを刺さなかったもう一つの理由だ」

そんな素っ気無い『楓』の台詞に、嘉神はしばし目を見張って『楓』を見詰めていたが、やおら目を閉じて俯く。その顔には、一気に気が抜けたとでもいうような薄い笑みがあった。

「は……私に、やり直す機会を与えたという訳か? いかにも、慈悲の心を持つ『青龍』らしい。──だが」

言葉を切り、ゆっくりと嘉神は顔を上げる。いつのまにか、その口の端から赤い筋が引かれていた。

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