──何かが、自分の中から出ようとしている。
そう本能的に感じて、楓はゾッとした。冗談じゃない。
『お前には、無理だ。後は任せな』
何かを含んだ『声』の言葉が、楓の感じた事を裏付ける。
自分が、自分でなくなる──。楓の脳裏に、あの幾度も繰り返された夢の映像が蘇った。もし、この衝動を受け入れてしまったら『自分』は兄を、殺してしまう──?
(やめてくれ! これは僕自身が、決着を付けなくちゃいけないんだ──!)
必死に抗おうとするが、それは意味を成さなかった。意識が、視界が徐々に白濁していく。
『心配することはないぜ。俺は──』
(やめろ──っ!!)
楓は『声』の台詞を、肉声ならば喉が張り裂けんばかりの強さで遮った。が、次の瞬間には──楓の意識は轟音と共に闇に呑まれる。彼の見る事の無い、雷光を伴って。
カッ! ドンッ──!!
「……何?」
月夜の静寂を破る轟音に、守矢は思わず振り向いていた。その視界に彼の刀の煌きよりもなお蒼く、なお白い──刹那の稲妻が飛び込む。
「なっ……!?」
守矢はそれを見て言葉を失った。当然だろう。その雷光は、真っ直ぐに楓に直撃していたのだから。だが、真に驚くべきは──。
雷光が消え去った後、そこに楓はいなかった。
──いや、正確には。そこに守矢の知る楓の姿は無かった、と言うべきか。黒という色は欠片も無い、黄金に煌く髪。瞳には鮮血に等しい、深紅の輝きが灯る。それらは月光の下でなお、それぞれの輝きを放ちつづけていた。そしてその顔には、楓には有る筈のない不敵な笑みが浮かんでいる。
「誰だ──」
ひたりとその人影を見据えて問う守矢に対し、男は平然と応える。低く荒い口調の声が──。
「誰だ、とはご挨拶じゃねえか。──まあ、無理も無いだろうけどな」
焦らすようなその物言いに、守矢は目付きを険しくした。それを見て、男は──何がおかしいのか──笑ってから続ける。
「あんたからしちゃ、会うのは初めてってところだろうな。けどよ──」
そこまで言って、男は自分を親指で指した。紅の瞳が、不思議な色合いに瞬く。
「紛れも無く、俺は楓なんだぜ」
笑みを深くして、男は──『楓』は守矢にはっきりと告げた。