新たに確認すると楓は噛み合わせていた刀を僅かにずらして、『楓』の攻撃の勢いを受け流す。
「!」
「はっ!」
そしてたたらを踏み掛ける『楓』に刀を振りかぶる! ──が、それがわざとだと気付いたのは、その数瞬後だった。
「ふ……!」
『楓』はそのままいきなり体勢を低くしてしゃがみ、容易くその攻撃を避けると、続けて刀を上向きに構え、伸び上がった!
カッ──!
「──!」
天地を駆ける雷撃と刃の両方を食らい、楓は声を上げる暇すら与えられなかった。しかし、『楓』の刃は躊躇いを微塵も見せない。
「せやっ!」
『楓』は器用に空中で体勢を変え、打ち上げられて無防備な楓の肩から脇腹辺りまでを袈裟懸けに斬りつけた! 刹那、闇に紅の華が咲く。
ザンッ──バッ!
その傷口から噴き出す己の血にまみれながら、楓は成す術も無く大地に激突する。
「ぐ……!」
呻きつつも『楓』の追い討ちを横に転がって躱し、楓はその勢いで立ち上がる。そして改めて、胸板の焼けるような痛みに顔をしかめた。その刀傷が、意外に浅かったことがせめてもの救いか。
だが次の瞬間、
「! く……お、ふ──!」
喉の奥から込み上げる熱いものに、楓は口を片手で押さえる。そして一頻り妙な咳き込み方をしたかと思うと、
ポッ……ポタッ
その指の隙間から、赤い液体が地に滴り落ちた。──当然である。普通なら、充分致命傷に成り得る筈の傷を負ったのだから。
(く、そ……)
胸中で呻きつつ、楓は口元の血をぐいっと手の甲で拭った。気が付けば、服も殆どの部分が血塗れになっている。──どうでも良いことではあるが。
「それだけの傷を受けて立ち上がれるたぁ、大した気力だな。ま、俺の相手をするならそれぐらいは耐えてもらわないと、面白くないけどな?」
楓を見やって言う『楓』の表情に、狂気の混じったような笑みが浮かんでいた。あの夢の最後の一コマにダブる笑み──
(……面白い、だって?)
全身を上下させて呼吸をしながら、楓は目の前の自分を見据える。
──闘いが面白い? そう感じたことなど、自分には──
(いや……僕も、闘うときに心のどこかでそれを感じていた……のか?)
後ろに退くこちらに回復する時間を与えさせないかの様に、突っ込んでくる『楓』の追撃を刀で受け弾きながら、楓は己自身に問い掛けた。
刃を交え、生死を分かつ瞬間の緊張感。闘うときの全身が打ち震えるような高揚。相手を切り伏せたときの恍惚。それらは日常ではまず感じられない種のものであり、確かに闘いは「快楽」のように考えれるかもしれない。しかし、
(闘うってことは……そんな簡単な──そんな『軽い』ものじゃない!)
闘いというものは常に「死」というものと隣り合わせにある。絶対的なものですらあるそれは、一度迎えてしまったらそこで終わりなのだ。その瞬間を見た事も、その危機に瀕した事も有る楓は知っている。死の恐怖というものを。
(そうだ……確かに僕は、闘いの中でその「快楽」をどこかで感じていたかもしれない。けど、僕がそれに魅せられなかったのは──)
『楓』の鋭い突きを、頬に受けつつもぎりぎりで頭を反らし、楓はすくい上げるように刀の切っ先を走らせた。『楓』の二の腕に朱色の傷が刻まれる。今の手応えからして、浅い傷ではない筈だ。
「ちっ……」
『楓』はその傷を見やり、初めて顔をしかめ小さく舌打ちして後方に跳んだ。楓は、深追いせずにその場で隙無く構える。そして、
「──怖、かった……」
僅かに俯き、呟く彼に『楓』もふと動きを止めた。いつのまにか、その顔から笑みは遠のいている。それは無表情に、楓の言葉を待っているように見えた。
「闘うってことは、確かに面白いと感じれるかもしれない。けど、僕はそれより怖かった! いつ来るかも知れない『死』の恐怖に怯えていた……!」
知っていた。自分は自分自身に理由を持たせて、死の恐怖をごまかしているに過ぎないのだと。それは、今もそうなのだから。
(分かっている……分かっているんだ。だけど──!)
信じたかった。自分が持っている理由は、ただそれだけのものではないと。
だが。
「……だから、お前さんは恐怖を理由って奴でごまかしてるのかい?」
「──!」
見透かしたかのような『楓』の台詞に、楓はまともに動揺を示す。表情を強張らせる楓を、笑い飛ばすように『楓』は嘲りの声を上げた。
「ハッ! 所詮、そんなものかよ。馬鹿馬鹿しいったらないな。それに、そんなものに怯えてンのは、お前が何も分かってない証拠だぜ」
俯く楓を見据え、はっきりと『楓』は言い放つ。即座に、楓は顔を上げて唸るように言い返した。
「君に……何が分かるというんだ!」
「分かってなきゃ、言わねえよ!」
叫ぶと同時に、彼は強く地を蹴った。そのまま突進して刀を振りかぶり、『楓』はさらに言う。
「少なくとも、分かっているつもりだぜ。『自分』のことぐらいはな!それに、お前が本当に恐れているのは、死ぬことじゃない──!」
「じゃあ、じゃあ何だって言うんだ!!」
自分の中に渦巻く、あらゆる負の感情を吐き出すように声を張り上げて、楓は刀を振り翳し──
ドッ──
重く、鈍い音がしたのは──そのすぐ後だった。