第七話・堕天
−月華の剣士インターネットノベル−

1999/09/02 - 1999/09/20
http://www.bluemoon4u.com/novels/mirror7_1.html

風が──終わる事無く、吹き荒ぶ。

異様に生暖かい、どこか血臭のする風だ。当たっているだけで、気分が悪くなってくる。

(まるで、『瘴気』みたいだ……)

──あの小屋を出てから、楓は真っ直ぐに南方──異様な空の在る方角へと歩みを進めていた。

自分があの場所で、己で本当の師の仇を討とうとしていた兄に会えたという事は──あちこちで聞いた話の通り、兄は南へ向かっていた、という事。その事実から、「師の仇はこの方角に居る」と考えるのがもっとも自然だろう。だが……

(何だろう……こんな感覚、今迄には感じた事も無い筈なのに──)

それよりも。五感とはまた違う感覚が、自分の中で脈打つように訴えていた。──一刻も早く南へ向かえ、と。その感覚が示しているのが、師の仇の事なのかすら分からないというのに──

(……まあ、どちらにしろ南に行くしか選択肢は無かったけれど……)

片腕で口元を押さえて吐き気を堪えながら、ふと楓は空を仰いだ。

本来の「青」という色はどこにも無く、墨を流したかのように漆黒に染まった雲に支配された空が、そこに在る。まるで、人間の絶望や悲しみを具象化させたような空が──。

「いったい、何が──っ!」

半ば上の空で口を開いた途端、口元に鋭い痛みが走って楓は思わず顔をしかめる。そこには、あざのようなものと僅かな血の跡が有った。

いや、なにもそこだけではない。守矢との戦いでの傷が治り掛けていた筈の楓の体の至る所に、無数の刀傷が有るのである。どれも、致命傷というほどのものではなかったが。

(やっぱり、『あの人』と闘ってすぐ来るべきじゃなかったか……)

その傷から分かるように、楓はここに来る前にとある人物と闘っていたのだ。既に、死した筈の伝説の「剣聖」と。不完全な巨躯で二刀流を振るい、自分と闘った後、昇天してしまったが──。

『良い闘いであった。もうそなたと刀を交えられぬのは、まことに残念だ──』

「…………」

あの「剣聖」が昇天する刹那に残した言葉を思い出し、楓は思わずぎりっと歯噛みする。

(お師さんを殺し、あの人を蘇らせ──いったい奴は、何をしようとしているんだ)

胸中で苦々しく呻き、楓は視線を空から眼下にそびえる白い建物に移した。

堂々とした威風と壮麗な雰囲気を兼ね添えた、真っ白い洋館──ただし、今は辺りが薄暗いせいか、その魅力が半減されているように思える。同時に、

(あそこに、奴が──)

その館から、何か妙な威圧感が感じられた。やはりあそこに──居るのだ。崖の上に居る自分が、これだけはっきり感じ取れるほどの『力』を持つ者が。恐らくそれは、あの嘉神という男──

(……死ぬ、かもしれないな)

その威圧感に触発されたか、楓の脳裏にそんな思いが浮かぶ。

今改めて思い出したが、あの男は師を殺している──という事は、自分の師を凌駕する腕を持っていると考えても良いだろう。そんな相手に、自分が勝てるのか……

だが、楓は目を閉じるとその不安を打ち払った。──不安になっていては、勝てる訳が無い。

(ここまで来て、退く訳にはいかない!)

新たに決意を固めて、楓は瞼を上げる。そして、近くの崖道を下り始めた。

ギイィィ……

軋みを上げながら、両開きの扉が開いていく。そこには、深紅の絨毯が敷かれたちょっとした空間が有った。両脇に、その空間を抱え込むような形で階段が配されている。照明が届かない為に、確認できたのはせいぜいその程度だった。あとは薄暗くて、闇しか分からない。同時に──

(妙だな。人の気配が全く無い……)

その広間の中心辺りで歩を止め、楓はふと妙な違和感を感じ取る。

この静けさは楓が感じる限り、「何かが息を潜めている」というものより、本当の「無人の静けさ」に近い。とはいえ、人の生活している痕跡みたいなものはあるし、何より──あの崖の上から感じた威圧感は、間違いなくこの館からだった。無人である筈が無い。

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