第八話・胎動
−月華の剣士インターネットノベル−

1999/11/13 - 2000/01/11
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「ふ……確かに、そうかもしれぬ。だが──」

しかし──『楓』はその口調に今迄とは違う寒気を感じ取り、何気に眉を潜めた。

(何、だ……?)

激烈に嫌な予感が、脳裏を駆ける。これは──この感覚は、どこかで……?

「それはあくまで、私の『力』がここで限界だった時の話だよ」

意味の取れない台詞を言い放ち、嘉神は刀を持たぬ手を頭上に掲げた。

ただ、それだけ──の筈だったのだが。

カッ──

実際は、そんな音がした訳ではない。だが今起こった事には、こんな擬音が似つかわしく思える。

──気が付いた時には、『楓』は正視できないほどの純白の閃光に包まれていた。

「なっ!?」

まったく状況が飲み込めないまま、『楓』は反射的に顔の前で両腕を交差させて頭部を庇う。やがて──。光が徐々に薄れていくのを感じ取り、『楓』は慎重に目の前の腕を退けた。そして、

「!?」

眼前の──いや、辺りの風景を見て愕然とする。

辺りには、荒涼とした「風」が吹いている。そう、何も無い──あのやけに大きい洋館自体が消えていた。ただ、そこにそれが存在していた事を告げる床や壁、階段などの残骸だけがそこにある。洋館のほとんどが消し飛んでしまった為、周りには崖が、上方にはあの黒い空が見えた。勿論それは、ここに来る直前に見た風景である。

だがその中で、決定的に違うものが──記憶に有る風景には無かったものが有った。それは、

(……あれは……?)

異形の物体だった。例の空を覆う黒い雲の中心部に、まるで無を凝縮させたようなむらのない黒い半球形のものが存在していたのである。紫色の霹靂を這わせて不定期な胎動のような動きを続けているそれは、無表情に地上を見下ろしているようでもあった。

そして次の瞬間、『楓』の胸中での呟きを読んだように前方から答えが返ってくる。

「地獄門……この生者の世界──現世と、死者の世界である常世の境界だ」

「!」

それに──地獄門に気を取られ、その存在を失念していた。『楓』は即座に嘉神に視線を戻す。

「あれが……死者が現世に来るのを防いでるっていう地獄門か。──けどよ。妙な寒気がしたり、瘴気が吹き荒んでンのはどういう訳だ?」

充分に警戒しながら言う『楓』に、嘉神は確かめるように片手を握ったり開いたりしながら、無感情に言い放つ。それはまるで──先程の「痛傷(つうしょう)」全てが、消えてしまったかのような余裕だった。

「実に簡単なことだ、私が開いたのだよ。もっとも……まだ完全に開いたわけではないがな」

「開いた? あの地獄門とやらを護る筈の、四神のあんたが? そりゃあ随分と矛盾した話だな」

大仰な仕種で天を仰ぐ嘉神の言葉に、『楓』は驚きと呆れが混同した顔で瞳を見開き、肩を竦める。しかし嘉神は『楓』に視線を戻すと、平然と言い返した。

「矛盾? それは違うな。私は四神として役目を果たす為に、『門』を開いたのだから……」

(四神の役目を果たす為……?)

そのまったく意味の取れない返答に、『楓』は片眉を潜めてしばし考え込んだ。

──ややあって。『楓』は溜め息と共にあきらめの呟きを漏らす。

「ま、四神の事に関しては、俺はほとんど知らないも同然だからどうとは言えねえな。けど、あの『門』が姿を現してから嫌な『におい』が強くなったってことは……少なくとも俺の中の『青龍の力』は、地獄門が開くのを歓迎してないみたいだぜ?」

「人間は新しいものを得ると同時に、古きものを失う。進化とも呼ばれるその行為は、時に真理すらも時代の暗闇へと追いやってしまうものだ。それは、我々四神も同じらしい」

講義でもするかのような嘉神の口調に、しかし『楓』は鼻で笑って肩から刀を下ろした。

(あくまでも、自分のやっている事が真理だって言いたい訳──か)

「──随分と饒舌だな。ま、どっちにしろ……俺は真理がどーのなんざ興味無いね」

「ほぉ……どういう意味だ?」

青紫の稲光を照り返す刀の切っ先をゆっくりと目の前の男に向けながら、『楓』はきっぱりと言い放った。そしてそれを受けつつ関心の声を漏らす嘉神に対し、『楓』は似たような笑みで応える。

「たとえあんたの真意を聞いたトコで、俺がこれからやることは変わらないって事さ。つまり──」

──轟く。雷鳴が低い獣の唸りを上げ、一瞬、雷光が『楓』と嘉神の横顔を蒼白く染め上げた。そして『楓』は、それとは対称的な色の輝きを持つ瞳を針の如く細め、静かな声音で吐き捨てる。

「あんたを倒すってことは、な」

暗黒のみを抱く空の下で。今改めて、深緑の闇と鮮紅の光が真っ正面から交錯する。

元の色を失った今の天には──ただ二人の対峙を、見下ろす事しかできなかった。

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